名前:森 徹
自己紹介
生年月日: 昭和49年6月生まれ
出身地: 東京都町田市
家族:妻、長女、次女
略歴
1992年(19歳) 八王子市 散田名倉堂接骨院 院長 吉澤先生師事
2002年(29歳) 散田名倉堂接骨院 研修終了
2003年(30歳) 九州へ医療の武者修行(福岡、宮崎)
2007年(33歳) 藤沢市辻堂太平台 ひなみ整体整骨院開業
2017年(42歳) 町田市相原町へ移転
自律分散徒手療法 ひなみ整骨院開院
学生時代は野球をしていましたが、とにかく体が硬くて、
怪我がとても多く、小学生の頃には、肘、肩と故障、
高校時は数回の骨折と、度重なる腰痛に悩まされ、
小学生のころから接骨院にお世話になっていました。
そのたび重なる、故障、怪我、それによって、周りとの比較から、メンタル面も弱気になり、自信喪失。。。野球は鳴かず飛ばず・・・。
野球引退後、そんなもんでしょ、しょうがないと決めつけ
大学受験に前向きに取り組むことができず、人生の大切な時間を棒に振ってしまいました。
その後、少し大人になって、
なぜ懸命に野球や勉学に打ち込めなかったのか?
なぜ結果が出せず負けても悔しい思いもなく、惰性で過ごしてしまったのか?
本当に後悔をしたのを思い出します。
この後悔から、
「本当に自分が打ち込めるものは何か?」
「この経験を役立てることはできないか?」
という思いから、この業界に入るきっかけとなりました。
八王子市にある散田名倉堂接骨院、吉澤先生の門下生として、骨つぎ(外傷の怪我)の勉強を中心に勉強させていただきました。 吉澤先生は、この業界に入るきっかけを作って頂いた恩師です。
「見て覚え、分からないことは質問してこい」
というスタンスの先生で、質問すると、質問の答え以上のお話をして頂きました。
奥さんから「また始まった」と飽きられるくらい、
ご教授してもらい、深夜になることもありました。
私たち弟子は、睡魔の限界に達し、よく太ももをつねったり、
必要以上にトイレに行って目を洗ったものです(笑)
本当に熱心に教えて頂きました。
その基礎があるからこそ、今があります。
そして今現在も先生には大変お世話になっております。
私は約10年もの研修をしたので、開業をする思いで、
吉澤先生の元を離れました。様々な物件、場所を探しましたが
結果的には開業はしませんでした。
もちろん、接骨院を開業する技術、
知識は十分に教えて頂きました。
しかし、開業する前に、
「この世界で追及することが、もっとあるはず」
と思い、心機一転、九州に乗り込みました。 九州は福岡です。とにかく、私の知らない未知の世界が山のようにありました。
東京とは全く別世界です。同じ日本なのに人種が全く違いました。 言葉も方言が分らなくて、とくに高齢者の方の言葉は全く分らなくて 最初のうちは、同僚に訳してもらっていたくらいです(笑)
治療といえば、福岡では包帯を巻く事が少なく、
毎日当たり前のように包帯巻きをしていた私には、
かなり違和感がありました。
包帯を巻かず手技で治す事が福岡では主流だったからです。
福岡では、お世話になった接骨院の院長先生とよく往診のお供をさせて頂いていました。通常、往診は、急性の症状(骨折、ぎっくり腰など)で動けないからという事での往診ですが、ここでの往診は、
なぜか、「病院に往診」でした。
患者さんは元お医者さんの方です。腕の良い、信頼されていた整形外科医でした。
しかし働きすぎによって、腎不全を起こし、そこから、脳に達して、倒れたという事です。話す事も、立つこともできません。息だけをしている状態です。
医師からは「回復の見込みはない」と強く言われていた患者さんです。
だから、家族の方は私たちの分野に希望を託して往診になったようです。
往診して一年位すると、「回復の見込みがない」はずの患者さんが、言葉は話せないのですが、聞き取りは出来るようになり、補助をすると歩けるまで回復をしたのです。ここまで回復するとは思なかった奥さんは本当にありがたいと感謝と笑顔にあふれていました。
これには奥さんの献身的なサポートもあってこそです。諦めることなく、常に前向きな方で、これこそ「愛」で勝ち取ったと思われる症例でした。
人には人の治癒力の限界は決めることができないということです。
諦めなければ、難治性のものでも良くなっていく事を知らされました。
そして、そんな笑顔を自分も作っていきたいと心から思ったことを覚えております。
福岡だけでなく、佐賀、宮崎、熊本とあらゆる先生方と出会い、ものすごく学びになりました。
特に、宮崎の先生には、家族ぐるみでお世話になり、施術から人生感といろいろ、教えて頂きました。
そして、九州では技術だけではなく、土地柄もあるのか、「人のつながり」「絆」という術者と患者さんに深い信頼があることを感じる事もできました。
「ここに来たら治してくれる」そんな声も多々聞きました。
「WIN-WIN」
患者さんが喜び、社会貢献をし、自身の生活が出来る。
そんな、お互いが「よかった」って思う、そんな治療家を目指すきっかけになりました。
ここ数年で、地球、自然、文明、文化、経済、人間
すべてが激しく「変化」しています。
その環境に住んでいる人間も間違いなく変化しています。
私も治療家になって25年ですが、
25年前の人間の体と今の人間の体とは全く違います。
だから、
私の「思考、技術」も変化しなければおかしいのです。
最も強い者が生き残るのではなく
最も賢い者が生き延びるものでもない。
唯一生き残るのは変化できる者である。
「チャールズ ダーウィン」
この環境の変化共に自身も変化し、最新の技術と知識の向上、そして研究に努め、
前進することが私の宿命です。
そして、これからの人生も、人助け、お役に立ちたいと心から思います。
この場を借りて、今までにお世話になった先生方、
患者さんにお礼申し上げます。有難うございました。
そして、最後まで読んで頂き有難う御座います。
森 徹